「中学で不登校になったら、その後どうなる?」
「ほとんど学校へ行けないまま中卒になったら、仕事はできる?」
「このまま人生が止まってしまうんじゃないか」
私は中学2年ごろから、ほとんど学校へ行っていません。
中学卒業後に進んだ高等専修学校も2日で行かなくなり、その後は約3年間ほとんど働かずに過ごしました。
そこから運送、レディースアパレル、警備と仕事を経験し、現在は警備会社で採用・教育・隊員配置・現場管理などに関わっています。
不登校だった時点で、その後の人生まで決まっていたわけではありません。
ただ、学歴で不利になったこともありますし、学校へ行けなくなった本当の理由は今でも分かりません。
この記事では、中2からほぼ不登校だった私が、その後43歳までどう生きてきたのかを時系列でお話しします。
中学不登校だった私のその後を時系列でまとめる
| 時期 | 私の状況 |
|---|---|
| 中学2年ごろ | ほとんど学校へ行かなくなる |
| 中学卒業後 | 高等専修学校へ進学するも2日で行かなくなる |
| その後約3年間 | ほとんど働かずに過ごす |
| 最初の仕事 | 運送会社で働き始める |
| 20代 | レディースアパレルで店長・複数店舗管理 |
| その後 | 警備員としてアルバイトから勤務 |
| 現在 | 警備会社で採用・教育・配置・現場管理などを担当 |
こうして並べると順番に立て直したように見えますが、実際はもっと行き当たりばったりです。
その時々で人に助けてもらい、目の前の仕事を続けるうちに職歴が増えていきました。
中学2年ごろから、友達に誘われても学校へ行けなかった
私がほとんど学校へ行かなくなったのは、中学2年ごろです。
友人がいなかったわけではなく、当時の友人たちは朝になると家まで誘いに来てくれていました。それでも私は学校へ行けませんでした。
当時は「ブラックバスを釣りたい」「ゲームをしたい」と言っていました。
でも、それが本当の理由だったのかは今でも分かりません。
友達が迎えに来てくれている。それでも学校へ行けない。
今振り返ると、もしかしたら心の調子を崩していた時期だったのかもしれません。うつ的な状態だった可能性も頭には浮かびます。
ただ、当時は病院へ行っておらず、診断も受けていません。
なので「うつ病だった」とは言えません。43歳になった今も、学校へ行けなくなった本当の理由は分からないままです。
中学卒業後は高等専修学校へ進学。でも2日で行かなくなった
中学卒業後は、高校ではなく専修学校の高等課程にあたる高等専修学校へ進みました。
ところが、入ってみると当時の私にはかなり衝撃的な環境でした。
1年生なのにタバコを吸っている生徒もいて、私の目には「不良の展覧会」みたいに見えました。
そして2日目、校内で窓ガラスが割れているのを見て心が折れました。
3日坊主も唸る、わずか2日です。
中学校へ通うことすら難しかった私には、その光景だけで「ここへ毎日通うのは無理だ」と感じるには十分でした。
学校を離れたあと、約3年間ほとんど働かなかった
学校へ行かなくなったあと、すぐ仕事を始めたわけでもありません。
約3年間、ほとんど働かずに親に生活を支えてもらい、釣り、本、麻雀などで過ごしていました。
一度コンビニのアルバイト面接を受けて落ち、それだけで仕事探しをやめたこともあります。
当時は「働くのがめんどくさい」と思っていましたが、今振り返ると、知らない人と接することや社会へ出て失敗することへの怖さも大きかったと思います。
この時期からどうやって働き始めたのかは、中卒ニート・引きこもりから社会復帰した実体験で詳しく書いています。
運送会社で働き始め、アパレル、警備へ進んだ
最初にまともに働き始めたきっかけは、母親が知り合いの運送会社を紹介してくれたことです。
最初は人と話すこと自体が苦手でしたが、仕事を続け、2〜3年後には家具配送や引っ越しの班長を任せてもらえるようになりました。
働く前に自信がついたのではなく、働いてできることが増えたあとに自信がつきました。
その後は大失恋をきっかけに、「もっと人と話せるようになりたい」「好きな服の仕事をしてみたい」とレディースアパレルへ転職。
アルバイトから正社員、店長、複数店舗を見る立場まで経験しました。
アパレルを辞めたあとは知人に誘われて警備会社へ。最初は「服屋を始める資金を貯めるまでの3か月」のつもりでした。
その警備を今でも続けています。
交通誘導、施設警備、機械警備、雑踏警備、列車見張りなどを経験し、現在は採用、隊員配置、新人教育、資格指導、現場管理などにも関わっています。
ホンネちゃん中卒のまま。職歴欄だけは、ずいぶん長くなったってワケ。
不登校のあとも、中卒による不利が消えたわけではない
今の部分だけを見ると、順調に見えるかもしれません。
でも私の最終学歴は今も中卒です。求人に「高卒以上」とあれば応募できない仕事もありますし、41歳で未経験の自動車業界へ転職しようとして不採用になったこともあります。
一方で、中学2年で学校へ行けなくなった時点で「一生働けない」と決まっていたわけでもありませんでした。
中卒で実際に困ったことや、現在までどう職歴を増やしてきたのかは、中卒で人生終了なのかを実体験で解説した記事で詳しくまとめています。
理由も分からず学校へ行けないなら、「怠け」と決めつけなくていい
私は当時診断を受けていないので、なぜ学校へ行けなかったのかを医学的に説明することはできません。
ただ、「理由は自分でも分からないけど、どうしても学校へ行けない」という人がいるなら、自分で「怠けているだけ」と決めつけず、誰かに相談してみてほしいと思います。
家族や学校の先生、スクールカウンセラー、公的な相談窓口、医療機関など相談先はいくつかあります。
厚生労働省も、若者向けに心の不調や相談先を案内しています。
理由が分からないこと自体を、相談していいと思います。
不登校のその後は、学校へ戻る・学び直す・働くのどれでもいい
私が選んだのは、学校へ戻らず働く道でした。
でも、今は通信制高校などで高校卒業を目指す方法もありますし、高卒認定を取って進学につなげる方法もあります。
高校卒業を目指したい人は、中卒から通信制高校へ進む条件をまとめた記事へ。
高校へ通う以外の方法で大学や専門学校などの受験資格を得たい人は、中卒から高卒認定を取る方法を参考にしてください。
まず仕事から始めたい人には、中卒でもできる仕事と仕事の探し方もあります。
まとめ|不登校になった日に、その後の人生まで決まったわけではない
私は中学2年ごろからほとんど学校へ行かず、高等専修学校も2日で行かなくなり、その後は約3年間ほとんど働きませんでした。
そこから運送、アパレル、警備と仕事を変えながら、少しずつ経験が増えていきました。今も最終学歴は中卒で、学歴による不利がなくなったわけではありません。
それでも、学校へ行けなくなったあの日に、その後の人生まで決まっていたわけではありませんでした。
学校へ戻る、学び直す、働いてみる。今の自分に合うところから、次を考えればいいと思います。










コメント